現代は科学妄信による科学病に侵されている。数値で自ら病気になる時代なのだ。

今日は科学病についてです。
我々現代人が侵され切っている病ですので、きちんと押さえておきたいです。

毎年のように、健康診断や人間ドックにかかる方も多いと思います。
「早期発見、早期治療」が言われておりますから、「当たり前」と考える方も多いでしょう。
もちろん、否定はしません。
それで助かる命があることも事実でしょう。

しかし、入念な医療介入が、「必ずしもベスト」とは言い切れないのが現実です。
細やかに検査をすればするほど、確実に悪い部分は存在するのが人間だからです。
30歳を越えれば異常部位など無い方が難しい。
精密検査をすればするほど、「どこにでも問題は見つかる」のが実際でしょう。

逆に、「どこにも異常が見つからなかった」という方も、「数カ月前にはなかったのに…」という病が見つかることもよくある話です。

特にこの数年はその数が異常に増えていることが言われております。
ネット界隈では、「ターボ癌」という造語が出て来るほどです。
造語ですから医学的な言葉ではないにせよ、実際にそのようなコトが多く報告されている以上、事実は事実として見なければなりません。

それが科学的なものの見方であり、事実を事実として受け止めないのであるならば、それこそ科学に反することとなります。

急速に病状が進行して、あっと言う間に死に至ってしまったというケースを聞くようになりました。
もちろんSNSの情報には誤情報もあります。
ですから精査されるべきではありますが、それは大手メディアにも同じことが言えます。

 

テレビの情報がすべて正しいと、どうして言えるのでしょうか?

 

 

世界では(日本では極一部では)、ワクチン後遺症の結果として、超過死亡が激増しているということが報道されております。
日本国は認めないのでしょうけれども、時間の問題で表に出て来るでしょう。
隠すにも、隠しきれないのではなかろうかと。

心身共に元気な方に対して、パンデミックと言う名のもとに医療が介入してくることが、本当に生命的に必要なことなのかを考えさせられるコロナ騒動でした。

 

私の感覚としては、「救急医療以外で医者には一切掛かりたくない」というのが正直な気持ちです。
実際、私はそのように生きております。
大人になってからの健康診断などゼロ。
今後も行く気はありません。

健康意識の高い方から、「先生、人間ドック行かなきゃ駄目だよ」と言われますが、私はそうは思いません。
経験として体験するのは良いかとも思うのですが、以前体験した胃カメラでもう十分です。

 

病気探しに躍起になるとキリがないどころか、必ず見つかるのです。

ポリープなど二十歳を越えたら普通にみつかるハズです。
現に私は24歳の頃、副鼻腔炎が悪化してしまった際、「両方の副鼻腔にポリープがたくさんある。これは開けてみないと良性か悪性か解らない」と言われました。
当時、医学的な知識もほとんどゼロでしたから、怖かった。

「悪性だったらどうしよう…」

手術が終わるまで、ずっとクヨクヨと考えておりました。
「良性でしたよ」と言われホッとしたことを覚えております。

ポリープにも今はいろいろな考え方があります。

放置しておいた方が良いというお医者さん(少なくとも、良性は取り除く必要がないというお医者さん)もたくさんいらっしゃいます。
こればかりはその病院の医療方針、その先生において異なるわけです。

医療情報も常に更新されております。

お医者さんのすべての人が、今も勉強しているとも限りません。
学生時代の古い情報のまま、何十年もやっている先生もいるのが実際でしょう。

今は調べればしっかりと情報を取ることができます。
特に本からの情報は必要不可欠だと感じております。

 

病気について語る際、「どこからが病気で、どこからが病気でないか」という問題があります。
現代は「科学病」という一種の「科学妄信」が世の中に蔓延し過ぎているので、「数値が悪いから病気だ」「映像に影があるから病気だ」と、仮に本人が体調不良をまったく感じていなくても「病気にされてしまう」、または、「知ったことで本当に病気になってしまう」人が多いのです。

病気というのは本来は、日常生活に支障をきたす状態のことであり、数値で判断するものではありません。

体調不良時において、参考として取るのが本来です。

数値には正常値が定められておりますが、それはあくまで目安であり、やはりその個人差は非常に大きいものです。
どんなに尿酸値が高かろうが、痛風の症状が出ない人もいれば、正常値内でも激痛に苛まれる人もいるのです。

 

これからは益々、医療との関わり方が問われます。

日常生活に支障をきたした際に、「ちょっと診ておいてもらおう」というのが本来の医療との関わり方です。

今は違います。

健康な人(特に際立った症状もなく、日常生活に支障をきたしていない人)に、医療が積極的に介入しようとしております。
それが本当に人間にとって必要なことなのか?
私には疑問で仕方がないのです。

 

前述のとおり、それで助かる命があることは重々承知しておりますが、余計な医療介入により死期が早まってしまうケースも考えられるのです。

そんなことがあるハズがない!!!!

そのように医療を信じ切っている方が多過ぎて、心配になります。

 

私はこの2020年からの一連の騒ぎで、自分の生命はできる限りにおいて最大限自分自身で責任を取りたいという気持ちがより一層強くなりました。

私個人の医療との関わり方も、奥さんには伝えております。

 

現代は科学を妄信し過ぎているのです。
身近な例では、コレステロール値や、血圧にも言えることです。
何でもかんでも薬で下げ過ぎでしょう?

何故、薬の前に、自己の生活を省みることをしないのでしょうか。

答えは簡単で、現状の生活を変えるのは面倒臭いからです。
今まで通り、甘いものも食べたい、美味しいものも食べたい、酒を止めたくない。

「現状を変える」ということは、常に、何かを壊さねばならないからです。

「手っ取り早く簡単に、数値だけ正常値にしたい。」

そう考えてしまうのでしょう。

 

 

皆さん。

今、毎日いくつ、薬を飲んでおりますか??

その薬は、本当に必要なものなのでしょうか??

 

 

科学とは本来、人間にとっての道具であるハズなのです。
人間がより豊かに、より良く生きるために活用するのが道具です。

今は、道具に使われている(振り回されている)人間ばかりと言えるでしょう。

ちょっと視点を変えてみれば、お金だって道具なのです。

その道具に、どれだけ私たちは振り回されているのでしょうか。

本当の豊かさとは、どんなものでしょうか。

 

もし自分が今、死を目の前にした際、お金を握りしめますか?
薬を握りしめますか??

 

私は愛する人たちの手を握りたい。

 

 

現代においては科学が道具であるということがスッポリと抜け落ちているように見えます。
道具に振り回されているのです。
少々大袈裟に申し上げますと(私は大袈裟とは思わないのですが)、現代においては、科学を「神」として祭り上げているかのようです(上記のお金も同様ですね)。

科学教という宗教に侵されているのです。

 

それが、テレビからも、SNSからも感じる私の違和感です。

 

 

いつから医療はビジネスになったのでしょう?

テレビCMの多くに製薬会社が名を連ねております。
テレビで、製薬会社を叩けないのは当然です。
スポンサーですから。

 

そうやって私たちの気づかぬ内に、何の違和感も感じない内に、コトの在り様がいつの間にか変貌しているのです。
そんなことが、この世には溢れ返っております。

 

知らぬが仏か?

 

知らぬが仏なこともあれば、知らぬ間に既に終わっていることもあるのです。

 

 

テレビを消してみることです。

 

 

雪国の人たちからしたら、ほんの些細な大雪ひとつ。

 

そんなに大騒ぎするほどのことなのでしょうか?

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