「歪み」とは、身体のパフォーマンスを下げる、感情のこと。

私は、『歪み(ゆがみ)』はないものと考えます。
あっても良いのですが、『歪み』=『悪』とは、考えていないのです。
だから、ないものと考えるようになりました。
一般的に言われている『歪み』とは、見た目の左右差です。
「歪みは悪いもの」という定義なのです。
見た目の左右の高さが違うと、「歪んでますね」ということになるのです。
見た目の左右差は、動きの左右差から生まれます。
動きの左右差とは、その人の持つクセです。
生活していれば得意な動き、不得意な動きが出てきます。
仕事がデスクワークの方もいれば、力仕事の方もいます。
生活スタイルが、身体のクセに影響を与えるのです。
生活していればクセは当然のように生まれます。
つまり、左右差はあって当然なのです。
ということは、一般的に言われる『歪み』は、別に悪いことではないことがわかります。
個性ですから、悪いどころか、本来、心地良いものなのです。

私は中学生の頃、ロックとか、ヘヴィ・メタルと言われる音楽を好きになりました。
ロック全般のギターサウンドを『歪み(ひずみ)』と言います。
私はずっと「ゆがみ」と言っていましたが、ギターサウンドの場合、「ひずみ」と言うようです。
私自身、バンドでギターを演奏していた経験があります。
いわゆるロックギターの、『ギュウィーン』という音が心地良くて、大好きでした。
『ズクズクズクッ』と、重たい歪んだ音に包まれると、それが気持ち良かったのです。
たとえば、布袋寅泰さんのギターサウンドが、クリーンな音ばかりだったら、もの足りなさを感じます。
『歪み』という言葉は嫌われものですが、ロックサウンドのように、歪みが心地よい場合もあるわけです。
ロックの視点では、歪みがないことの方が、歪んでいます。
『歪みがない』=『悪』なのです。

身体のクセは、心地よく過ごすために必要なものです。
「クセはなくさなければいけない」というのは、思い込みなのです。
一般的に言われる『歪み』は、左右差のことです。
その左右差は、クセから生まれるわけです。
クセはあるのが普通のことですから、一般的に言われている『歪み』は、あっても良いということです。
『歪み』=『善』なのです。
このように前程が変わると、身体の見え方も変わるのではないでしょうか。

私の考える【『歪み』=『悪』】の『歪み』とは、『身体のパフォーマンスを下げる、感情のこと』です。
以前、当院に通っているユカちゃんから、「先生、私どこが歪んでるの」と質問がありました。
ユカちゃんとは、付き合いが長いので、冗談交じりに、「ユカちゃんはさぁ、心が歪んでるんだよ」と、笑いながら言いました。
これは笑い話なのですが、今でもユカちゃんは、「先生、また心が歪んだら来ますね」と言っています。
大切なのは、「姿勢が悪いから、痛いんだ」「ヒールが身体に悪いんだ」「枕の高さが悪いんだ」と、身体にまつわる良し悪しの思い込みを捨てることなのです。
自分を縛りつけている思い込みこそが、悪い歪みの正体なのです。

音楽のみならず、文化的なものには、歪みを善としているものが多いです。
歌舞伎の語源は『傾き(かぶき)』です。
傾き者の自由な発想から生まれたのが歌舞伎です。
『傾き(かたむき)』は、自由である、ということなのです。
日本画は、基本的にシンメトリーを避けると言われます。
シンメトリーは、見ていてツマラナイのです。
左右のズレ感こそが、観ていて落ち着くということなのです。
左右差があるというのは、それだけ好き勝手に動けている証でもあるのです。

【姿勢が生まれ変わる、身体との付き合い方4】
もっと大胆に、ハミ出すことを、しよう。

P.S.
左右差を少なくするには、得意不得意関係なく、いろいろ身体を使うことです。
私たち人間も、動物です。
身体は、もっと大胆に使うためにあるのです。
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