身体の柔軟性はあるに越したことはありません。
柔軟性とは、「遊び」です。
車のハンドルには、「遊び」があります。
ある程度の「遊び」があるから、スムーズに進みます。
ハンドルの「遊び」がなければ、地面の凸凹によるタイヤへのショックが、いちいちハンドルに伝わりコントロールが難しくなります。
ハンドルを強く握りしめてないといけなくなるのです。
力んだ状態では身体が疲れてしまいます。
ハンドルとタイヤの連結を、まったく余裕のないものにしてしまったら、ギャグマンガのようにハンドルが「バコッ」と取れてしまいます。
つまり、簡単に骨折するのです。
ハンドルに「遊び」が必要なように、身体にも「遊び」が必要なのです。
柔軟性の例としてよく用いられるのが、開脚です。
人によっては、脚が真横に180度開けます。
逆に90度以上開かない方もいます。
実際の生活の中では、脚を90度まで開くことなど、ほとんどありません。
もし開脚して歩いている人がいたら、「やたら幅利かそうとしてる人いるけど、スゲー歩きにくそうだね」と言われるのがおちで、ただの変な人でしょう。
想像しやすいこととして、万が一、なにか不意の事故に巻き込まれた際、大怪我を免れる可能性が高いのは180度開脚できる方だということです。
もしも、背骨が一本の棒だったら、転んだだけで折れてしまいます。
背骨は、小さい骨の積み重ねが「遊び」的役割となるから、折れることなくいろんな方向に動けるわけです。
もうひとつ大切なことがあります。
たとえば、開脚度90度の人と180度の人が同じようにあぐらで座っているとします。
身体の中の余裕があるのはどちらでしょうか。
おそらく、180度まで開ける方です。
その方の方が長時間、楽に座っていることができるハズです。
柔軟性が高いということは、それだけ体内に空間があるということです。
これはあくまで私の身体感覚なのですが、開脚をして脚のツッパリ感を数分の間観察していると、体内にスペースが生まれてくる感覚が得られます。
すると、数分前よりも楽に骨盤を立てることができたり、また、股関節の開脚度もいくらか高まっていくのです。
「股関節や太ももの裏に空間なんてないよ」と、常識的な方には伝わりにくい表現かもしれませんが、私の身体感覚的にはそれがあるということは、あるのです。
またこれも似たようなことですが、私の場合、胃が痛い時に身体をひねるヨーガアーサナをすると、胃の疼きが治まるという体験を何度もしております。
これも私の身体感覚的にはお腹の中にスペースが生まれる感覚があるのです。
ひねることで、腸にある内容物が「フッ」と下に降りていく感覚があるのです。
スペースが生まれると胃の疼きが治まるのです。
柔軟性を得るとは、空間が得られることですから、「遊び」スペースが生まれることだと認識しております。
最初に「身体にも遊びが必要」と表現したのは、「遊び」が必要なのは、関節だけではないからです。
たとえば、右手首をできる限り曲げきってみても、左手で手伝えばさらに曲がります。
これが関節の「遊び」部分です。
この「遊び」は、筋肉にも、血管にも、神経にも、皮膚にも、筋膜にも、その他あらゆる組織に必要です。
身体のあらゆる組織に「遊び」を生み出すためには、骨の連結部分である関節が大きな役割を果たすのです。
関節の遊びが小さいということは、その他の組織の遊びも小さくなるからです。
身体の「遊び」を生み出すのに有効なのがラジオ体操です。
「そんなこと?」と思うかもしれませんが、体操後は柔軟度が確実に高まります。
開脚していないのに、いつもより開けるように変わっています。
「簡単なこと」で、身体が変わる一例です。
要は、いろんな動きをダイナミックにしてみれば良いのです。
最近はトランポリンが流行っています。
「先生、自宅用トランポリン買っちゃった」と、先日、当院に通うエイミーさんが教えてくれました。
楽しいみたいですよ。
私も眠気覚ましによく飛び跳ねております。
滞りが抜ける感覚で、仕事の集中力が高まる実感を得られます。
柔軟度も確実に高まるでしょう。
また私の場合は、ヨーガアーサナがとても役に立っております。
逆立ちをするだけで、瞬時にあらゆる関節の柔軟性が高まることを実感しております。
心地よく身体を動かせば、身体の「遊び」は年齢に関係なく育てていくことができるのです。
P.S.
ヒマラヤで、成瀬先生を施術させて頂ける機会がありました。
股関節の柔軟性が、味わったことのない感触でした。
そもそも、関節の遊びにまで辿り着けない感覚で、抵抗感が皆無でした。
身体で遊べば、身体の「遊び」が育ちます。
P.S.2
また山道を駆け回りたくなってきました。
身体が欲する「したいこと」を、しよう。