医療のすべてを否定するわけではございません。
ただ、現代ほど「医原病」で体調不良を起こしている人が溢れ返っている時代はありません。
風邪を引けば、「風邪のひき初めに…」と、疑いもなく風邪薬を飲みます。
仕方がないかもしれません。
テレビCMを観ていれば、抵抗がなくなるのは当然だからです。
むしろ、「有名な製薬会社が言うのだから安心だ」と感じている方も多いのではないでしょうか。
風邪を引けば、病院へ駆け込み薬を貰うのが当たり前の方も多いと思います。
しかし、却って薬を飲むことが、風邪を長引かせている可能性が高いのです。
本来出るハズの症状を止めることで、病原を体内に潜伏させ続けることになります。
薬の作用で表立った症状が出ないまま、乗り越えられるケースも多々あることでしょう。
それで「治った」と感じる方も多いのですが、「治り方」が非常に悪い。
身体を弱めながら「治った」に過ぎず、人によってはすぐにぶり返すことになります。
つまり、「治った」のではなく、症状が一時的に止んでいただけなのです。
薬を飲み、そのまま収束することもありますが、その処理は当然ですが、薬がしているわけではありません。
皆さんの備え持つ、「免疫が処理してくれたおかげで」収束したわけです。
免疫機能からすれば、「風邪薬で免疫力を抑えつけられながら処理をした」のです。
免疫機能的には大変だったのかもしれませんよね。
肩が凝ったり、スポーツ後の筋肉痛で(その程度でm(__)m)、湿布をペタペタ貼りまくる人もいます。
胃が痛くなれば、胃痛薬で痛みを抑えますし、頭痛がすれば、即座に頭痛薬です。
二日酔いの頭痛で、頭痛薬を飲む人もいるようです。
考えたこともなかったので、その発想を聞いた時は驚きました。
血圧が上がれば降圧剤、コレステロールが高ければ即座にコレステロールを下げる薬が処方されます。
何の疑いもなく、飲み続ける方がほとんどでしょう。
生理痛が酷く、ピルで生理を止め続ける方も多いことにビックリします。
本来ならば、これら薬を使用しなくてもよくなるよう、医師が指導しなければなりません。
医師だけの責任とも言えません。
ご自身も薬がどういうものなのかを理解する必要があるのです。
「医者が言うのだから、間違いないだろう。」
そう思うのは、当然のことかもしれませんね。
専門医が言うのですから。
ただ、この2020年からの3年間で、「専門家(医)」のメディアでの発言が必ずしも適切でないことは、嫌と言うほど味わったのではないでしょうか。
もしかしたら、今もまだ気づかずにいる方も多いのかもしれませんが、医療というものが、その根底から覆ってしまった3年間だったように私は感じております。
故に、これまで以上に慎重に医療と関わっていく必要を私は感じますし、これからは訴えていきたいと感じております。
個人差あれど、毎日のように薬を飲んでいる人が多いのですが、一度立ち止まる必要を感じます。
もちろん、ツライことは解かります。
痛みが酷ければ仕事がまったく手に着かないこともあるでしょう。
ただ、あらゆる病の症状を、薬で抑え続ければ、身体からはエラーが発せられるようになります。
薬によるその場しのぎの繰り返しが、慢性化のドツボを招くことになるのです。
薬を使うその根底には、生活習慣を見直す前提が必要です。
自己の生活を振り返ることなく、ただ処方される薬を使うことは、問題を1つも解決しないのです。
すべての辛さが解かるかと問われれば、正直、解りません。
そういうしかないのです。
「先生は男だから、生理痛のツラさは解らないでしょう」と言われたことが何度もあります。
残念な気持ちにはなりますが。
でも、たしかに。
もちろんそれは解らないのです。
ただ、私自身44年間生きてきて、それなりに病を体験してきました。
過去数回の手術も経験しておりますから、体調不良のツラさ、痛みのツラさは身に染みて感じてきた人生と言えます。
生活がままならぬ体験もありますから。
そもそもシンプルに、風邪ひとつ、ツライのです。
ただ誤解を恐れずに言うならば、皆さんとは、「その病のツラさとの向き合い方」は異なるかもしれません。
私が薬を飲むことは、ほぼほぼないからです。
あらゆる病から生じる症状を、真向から受け止めるスタイルなのです。
だから、風邪だろうが何だろうが、ツライ時は非常にツライのです。
理由は、私がそういう生き方が好きだからとしか言いようがないのですが、この仕事に就いてからは特にその傾向が強くなりました。
病と対峙することで、どのように自分が修復されていくのかを診ていくのが好きなのです。
研究の一部とも言えるかもしれません。
だから、よっぽどのことでない限り、薬を使うことはないのです。
まず、風邪の症状で病院へ行こうという発想自体がありません。
ですから40度の発熱があった時も、風邪か、インフルか、コロナかなど、考えたこともないのです。
「どうでもイイ」と思っているのが正直なところ。
だから、今時の、「コロナになっちゃった…」と落ち込むことも皆無です。
本当に何でもイイと思っているのです。
こう言うと、「検査しないなんて迷惑だ」とおっしゃる方も中にはいるのかもしれませんが、私からすると、そんな状態で外を出歩き病院へわざわざ行く人の方がよっぽど迷惑かと思います(ゴメンなさい)。
そもそも、インフルかコロナかどうかも解らぬ内に治ります。
ひたすら、極力断食状態で眠るだけです(もちろん水分はたくさん摂ります)。
2022年の時は、まるまる1週間は、熱が上がったり下がったりを繰り返しました。
それ以降は元気ではあったが、咳などの風邪の症状が完全に消えるまでには3週間ほどかかりました。
過去に何度もかかっている風邪も、同じようなものでしたから、風邪だったのかもしれませんが。
何度もしつこいですが、検査しないので解りません。
今は何故か、風邪をひいても、「コロナじゃなかった」と喜んでいる人がいますよね。
コロナが最大級に悪い病気と考えている節がありますが、こんなおかしなことはありません。
かなり感覚的にズレている方が増えていることに、ビックリする時があるのです。
世の中にはあらゆる病気が存在しますが、その頂点にコロナがあるかのようです。
おかしな価値観ですが、私が観てきた、感じてきたこの3年間は、そういうものでしたよ。
もう、そのおかしな価値観を捨てませんか?
少々話がズレましたが、自己の生活習慣を省みることなしに、薬に頼り切りるのは間違っていると認識する必要があります。
症状を改善していくためには、そこがスタート地点となります。
これは、病気のみならず、腰痛や肩こり、頭痛など、あらゆる身体症状において言えることです。
あくまで私の価値観ですが、医者に頼り切るという選択肢は、私には皆無です。
ハッキリと、自信を持って言い切れることのひとつです。
誤解のないように書きますが、もちろん薬を飲んだことは何度もありますよ。
激痛で眠れない時は、精神的にツライですから。
そういう時は、無理することなく薬を飲みます。
必要悪と思っております。
ただ、風邪薬は二十歳を過ぎてからはおそらく飲んでおりません。
過去、歯の激痛だけは、敵わなかった…
痛みはツライですが、痛みをきっかけに自己を振り返るように心掛けております。
痛みと対峙してきて思うのですが、それが人生の基本のように感じているのです。
そうやってあらゆる病と向き合って生きて来たからこそ、痛みのツラさは、「解らないけど解かる」のです。
たしかに、「あなたの痛み」は解りません。
それは、あなたにしか解らないのです。
でも、その痛みのツラさなら解らないでもないのです。
きっと死ぬほどツライのだと思います。
それは、解ります。
「解かる」と言ってしまうことを、赦して欲しいです。
多くの人は、痛みを止めて、今まで通りの生活をする。
あえて強く書きますが、そこに「自己を省みる」という行為を圧倒的に欠いているのです。
その場しのぎばかりなのです。
良くなるための努力というものは、現代においては「非常に面倒臭い行為」なのだと理解しております。
これだけ薬が溢れ返る世の中ですから。
痛みを感じることなど、面倒以外にないのです。
痛みがなくなれば、とりあえず「治った」ということにし、「とりあえずOK」と捉えてしまうのです。
それが、「現代流の苦痛との付き合い方」なのです。
見方を変えれば、それだけ現代人が、「苦痛と向き合えなくなった」ということです。
つまり、「人間として弱くなった」と言えるのです。
もちろん、それは私自身も同様です。
昔の厳しい時代を生き抜いた人々と比べたら、圧倒的に弱くなっているのだと感じます。
不調を訴える方々と接する毎日ですが、とにかく、「痛みと向き合うことができない」という大前提が現代にはあります。
故、多くの人は、「医者任せ」「専門家任せ」を決め込むのです。
まずは、その姿勢を捨てない限り、体調が良い方向に向かうことはあり得ません。
整体を受けるにも、受ける姿勢ひとつで効果は大きくも小さくもなります。
自己を振り返る一環として整体を活用すれば、必ず身体は強くなります。
整体をきっかけに人生が変わる人を見てきていますから、言い切れます。
勘違いしている方が多いのですが、私が治すのではありません。
皆さんご自身に、治る力は最初から備わっているのです。
その力が無駄なく引き出せるよう、私はお手伝いすることができるのです。
道案内人のようなものだと感じております。
あなたの痛みはあなたが治すものであり、薬が治すのでも、私が治すのでもありません。
薬をきっかけにして、直るのです。
整体をきっかけにして、直るのです。
あなたが「直る」から、治るのです。
だから私は、あなたを直したいと考えて、毎日整体をしています。
薬は直るために使うのです。
整体は直るために使うのです。
激痛過ぎたら、自己を省みる余裕すら生まれないのです。
省みることをしないから、いつまでも萎れているのです。
薬とは上手に付き合わねばなりません。
今は、そういう当たり前を教えてくれる人がほとんどいません。
現に、お医者さんもただ薬を処方して終わりです。
薬との付き合い方など、何一つ伝えてはくれません。
昔はお年寄りの方が教えてくれたものです。
「養生」という概念が残っていたように感じます。
お年寄りには生活の智慧があった。
少なくとも、私が子供の頃には、まだまだ残っていたように感じます。
今はどうだろうか。
そもそも、薬指がどうして「薬」指かと言えば、クスリをつける時に使う指だからですよね。
うまく使いにくい薬指で薬を扱うことで使い過ぎないようにしていたのです。
中には、「薬は身体に良いもの」と、誤った大前提をお持ちの方もいらっしゃいます。
さすがに考えを改めねばなりません。
特に「漢方薬」となると、多くの人は勘違いを起こします。
漢方なら副作用がない、むしろ身体に良いと勘違いしている人が非常に多いのです。
漢方は「毒」です。
その毒を利用して、身体の解毒する力を高めるのです。
身体に良いことばかりでなく、毒をも活用して生きる力にしていくことが、「養生」という概念です。
それは西洋医学の薬も、本来的には同じです。
薬は、上品、中品、下品とありますが、薬は下品であり、必ず副作用があります。
当然、漢方薬は「下品」にあたります。
上品というのは、正しい食事のことをですから、副作用がありません(添加物問題などは置いておく)。
まずはそのことを押さえておく必要があります。
どんな薬にも、薬ならば100%副作用があるということです。
ただその多くは、表立ってその副作用を感じずに済んでいるだけです。
それはあなたの身体に、先天的に解毒する力が備わっているからです。
薬を「必要悪」として上手く活用すれば、上手に病の改善に役立てることができます。
それが上手な薬との付き合い方なのです。
ただただ薬を体内に流し込むような使い方では、病気は離れてくれないでしょう。
冒頭に書いた「医原病」のように、「潜在的な副作用の蓄積による体調不良」が起こっている可能性もあります。
これを見落としがちです。
人によっては、「潜在的な副作用の蓄積による体調不良」が、頭痛、肩こり、腰痛、あらゆる関節痛だとしても、なんら不思議はないのです。
つまり、なにか身体に症状があるならば、「その症状をきっかけに身体を強くしていこう」と決意する必要があります。
風邪は、身体を強くするために引くのです。
腰痛も同様。
腰痛をきっかけに、身体をより良い状態に築き上げて行くのです。
そのための腰痛です。
あらゆる症状は、「よくなるきっかけ」に過ぎません。
「脱皮するために活用する」のです。
その大前提を忘れているから、症状を止めに走り過ぎてしまうのです。
それが、医原病と言えます。
1回2回の薬の使用で、身体がおかしくなるわけではありませんよね。
ただ薬というものの捉え方が、現代はあまりにもズレ過ぎているのです。
「そりゃあ、体調悪くもなるよな…」と言わざるを得ぬ人生を送っている人が、とても多いのです。
その現状を、私は変えていきたい。
本日押さえて頂きたい点は、薬の飲み過ぎで、頭痛や肩こり、腰痛になっている人がいても、まったくおかしいことはないということです。
他には、耳鳴り、めまいなどあらゆる不定愁訴を含めです。
医原病としての筋骨格系症状があるということを知って頂きたいのです。
すでに薬漬け生活になっている人は、いきなり薬をゼロにするわけにもいかないでしょう。
理解あるお医者さんと出会えるかも重要にはなりますが、一番はご自身の生活を振り返ることが最も大切な一歩となります。
具体的には、「寝る」「動く」「食べる」の3点を見直すことから始まります。
私の師匠が常々おっしゃることです。
この3つを軸に、生活を見直せば必ず良い方向へ向かいます。
身体はもちろんですが、「人生が」良い方向に向かうのです。
ちゃんと寝れているか?
ちゃんと動いているか?
食べ物はどうか?特に食べ過ぎていないか?
身体は気づいた地点から良い方向付けができます。
いまこの瞬間から、自分を変えていくことができるのです。
整体が力になれることも多々あります。
あなたの身体は、お医者さんの身体でもなければ、薬が必要な身体でもないのです。
あなたの身体は、あなたが取り戻す気にならねば、何も始まらないのです。
よく生きるとは、よく死ぬことです。
よく生きるために整体は活用するのです。
つまり、よく死ぬために整体は活用するということです。
よく生きる、よく死ぬとは、すべてにおいて「自己責任の人生を送る」ということに他なりません。
痛みは自分を見つめるためにあります。
外ばかり見ていないで、一度自己を省みて欲しいという、身体からのサインです。
自分を見つめることから、今すべきことが変わるのです。
どの時点、どの地点からでも良い方向へ歩を進めることができるのです。
そのことを、思い出して頂きたいのです。
身体は本来的にそのことを知っているのですから。